
ヴォイスヒーリングの先駆けであり、私の師でもあったヴォイスヒーラーの故 渡邊満喜子氏の著作に「声をめぐる冒険 ヴォイスヒーラーの実践をとおして」があります。
このヴォイスワークについて解説するにあたり、彼女のこちらの著作を読み返していたところ、「まえがき」部分に、「声とは何か」について、尽くされていると感じたため、彼女へのリスペクトも込めて、こちらを参考にしつつ、私なりの言葉に落とし込みながら、書いてみたいと思います。

彼女は冒頭で、自身のヴォイスヒーリングとは何かについて、次のように語っています。
人は誰でも、世界でたったひとつの、自分だけの美しい声をもっている
それはそれぞれの魂の波動が外部に音声として表出したもので、内なる音楽の調和と共に存在して、その人だけの歌をうたうことができる
この声を魂の乗り物として、発声のレッスンを重ねていくと、より精妙な波動を音声化することにより、より深い自分と共鳴する感覚を取り戻す
渡邊満喜子「声をめぐる冒険 ヴォイスヒーラーの実践をとおして」春秋社 まえがきより
私たちは、普段の社会生活の中で、声を、言葉の意味伝達のための手段としてしかとらえておらず、声の響きそのものが持つ力自体には無意識であることが多いのではないかと思います。
声は、また、他方では音楽的表現として様々な歌になっていきます。けれども、私たちの多くが学校教育の中のいわゆる「音楽の授業」で教えられてきた近代以降の西洋の声楽に基づいた発声法は、渡邊氏が言うような「魂の響き」を直接的に音声化する方向には発展しませんでした。

しかし、世界の様々な宗教儀礼や、近代以前から存在する世界の様々な国々の独特な唱法ーホーミーなど喉歌やブルガリアン・ヴォイス、シャーマンたちの神歌などーや、古楽の中に残されている音の感性には、現代では忘れられてしまった自然や他者、ひいては神々や精霊との共鳴手段としての声の力を想起させる、プリミティブな力があります。
そのような声の持つプリミティブな力に私たちが日常の社会生活の中で出会うことは稀です。けれども、自身の内的な世界と、外的な世界の共鳴手段としての声の響きの持つ力に出会うならば、眼で見える世界を理解するよりも、遥かに深い内的な体験をもたらすと言われています。
特に、視覚偏重の社会で生きる私たちにとって、そのような音・声の響きの世界にひらかれていくことは、今後のひとつ重要なポイントになってくるかもしれません。
もう一つ重要な点は、そのような「響き」や「共鳴」に対する理解というものが、私たちの身体を基軸に起こるという点です。
「響き」や「共鳴」といった概念は、抽象的で理解しにくいものですが、声を通して実際に自身の身体で体感することによって、意識や言葉を超えた理解に至ります。
このような身体が理解する知の領域ー身体知の領域への気づきを深めることも、大事なポイントです。
次に、渡邊氏の著作を離れて、このヴォイスワークで具体的に実践することについて書いてみます。続きは下記リンク先へ。