いきなり、直球なお話。
私たちはなぜ生き、そして死ぬのでしょうか。
現代の社会において、そのような主題を専門的に扱うのは、いわゆる「宗教」と呼ばれる分野だとされています。
日本は、世界的に見ても「宗教的に寛容」な環境であり、世界の様々な宗教が社会的なレベルではその信仰を認められています。
その一方で、私たち日本人の多くは自分自身を「無宗教」であると考えていることが多く、「宗教」に関する話題を扱うことをあまり好まない傾向があると言われています。
私たちの生に意味はあるのか。私たちは死んだらどうなるのか。
私たちの日常において、そのようなことを話す機会は、とても少なく、また、そのような話を直接することは憚られることが多いのではないのでしょうか。
その一方で、そのようなそれぞれの実存 -なぜ私はここに存在しているのか- について悩み、答えを求める、もしくは、積極的にその意味を探究する人たちもいます。
年々、そのような人たちは増えているように私自身は感じています。
そのような、私たちの実存そのものに対する態度や考え方、感性を「スピリチュアリティ」と呼ぶとするならば、そのスピリチュアリティの在り方や、態度も、今、伝統的な宗教も含め、本当に多様なものが存在しています。
このような探究に初めて足を踏み入れる方には、何が「正解」なのか混乱してしまうこともあるかもしれません。
そして、このような私たちの実存そのもの、自分自身のアイデンティティーに直接関わる事柄というのは、非常にセンシティブなものであり、注意深くアプローチしていかなければならない事柄です。世界を見渡せばわかりますが、宗教をめぐる争いというのは、ほんのちょっとした教義の違いからすらも起こってきたものであり、それ故に、深刻さを孕んだものになり得ます。
AWA VOICEでは、この「スピリチュアリティ」に関する物事を、正面から扱いますが、何かの「教義」を打ち立てるものではありません。
この不確定な時代において、自分とは何か、自分自身が生きることの判断基準を深いところで覚知することはとても大事なことですが、それは、あくまで個人の内側で起こってこなければならないとAWA VOICEでは考えています。
私たちが提供しているのは、そのような個人の内側で起こる変容と気づきのための「場」です。
そして、上記のような前提があるからこそ、個人が内的な覚知に至るためのその道筋についての知識や方法を、私たちAWA VOICEが提供すること、明確な方向性を示すことが、初めて意味を持ってきます。それは、「型」を通して、初めてそれぞれが「個」として自由になることができるという、日本の伝統芸能の考えにも似たものです。
ですので、AWA VOICEでは、たましい、魂という言葉や、いのち、命という言葉でしか指し示すことのできない「なにか」について扱い、それらについての知識や方法も提供していきます。「魂」「命」という言葉をマイルストーンのように置くことで、初めて見えてくる事柄があります。
そこから、個人が何を感じるか。何を大切にするのか。「声」による響きあいの中で、それが自ずとシェアされてきた時に、立ち上がってくる、その「なにか」をこそ、私たちは大切にしていきたいと考えています。